裏抜け

前のブログ、親戚経由で親父にバレてたので作り直し。

 

本年もどうぞよろしくお願いいたします。
そして半年ぶりの更新。あれからいろんな事があった。

 

前回投稿の直後に、お付き合いしていた方と、生活に対する価値観が違いすぎて別れた。
食器を洗う際の、常識の範囲内(お皿を水切りかごに立てかけて、そのあと箸を洗うまでの5秒間)での水の出しっぱなしをえらく咎められたり。
外出時には「節電しないと」と息巻き、家じゅうの電化製品のコンセントを抜いていく姿に毎度あ然としたり。
風呂に入ろうと思って湯船のふたを開ければ、自分の股間がようやく浸かる程度のお湯しか張られていなかった事も、一度や二度ではなかった。

 

いつもどんな時も「ガス代が勿体ない」「電気代がかかる」「お金がかかるからコンビニのカフェラテでいい」と、ゆとりのない生活が息苦しかった。
そうした事由で別れ話を切り出すと「もっとちゃんと言ってほしかった」と言われた。
その瞬間、それまで付き合ってきた期間のことが、とんでもなく無駄な時間に感じられてしまった。

 

「これぐらいなら光熱費は変わらないよ」「よく寝られないなら湯船に浸かることも大事だよ」と対話を持ちかけると、機嫌を損ねながら早く会話をやり過ごそうとしたのはそっちだろう、と。
金銭面での価値観もさることながら、それ以上に対話ができない、そもそも対話を必要だと感じていないという価値観が、自分にはどうにも合っていなかった。

 

ただ、交際期間を無駄な時間へと変えてしまったのは、そうした横柄な態度を許し続けた自分の責任でもあることは重々理解していた。
嫌われたくないあまり、物事をなあなあに済ませて丸く収めようとするのは、かえって残酷なことでもあったなあ。

 

そうした失敗を糧にして「今回が人生最後の登録」とマッチングアプリに登録した。そして、なるべくいろんな女性と会うように心掛けた。
30人ほどの女性とメッセージのやりとりをして、そこから延べ10人ほどの女性とお茶やランチ、夕食の時間を共に過ごした。
チャレンジの数と失敗の数は比例するもので、確度高めの女性から突如お断りのメッセージが届いたり、百貨店で用を足しているうちに女性に飛ばれた事だってあった。

 

チャレンジの数と失敗の数が比例する流れ、どこか既視感がある。
その既視感の正体は、自分がサッカーをしているとき、何度もオフサイドに引っ掛かりながらもゴールを狙う、あの瞬間みたいだった。

何度オフサイドトラップにかかろうが、たった一度の決定機をモノにすればオールオッケー。
とにかく「自分に合う女性と会う」というゴールを目指して、無駄走りやプルアウェイのような駆け引きをアプリ上で厭わずやり続けた。

 

その結果、なんとなく自分と同類だと思える女性と、どうにかこうにかお付き合いすることができた。
これまでの恋愛での失敗談。その失敗で抱いた感情がどんなだったか。人生がどこか諦観気味な部分。
そして、そのくせ自分のことをどうにも諦めきれない自己矛盾を抱えている点。

 

話せば話すほど、自分同様に面倒くさい人だと感じた。
でもその面倒くささにはすべて心当たりがあったし、そんな面倒くささを肯定しあえるこの人となら、もしかするとうまくやれるんじゃないか。

 

そう感じて、交際を始めたのがつい2ヶ月前。
交際までにそれなりの回数を重ねて精査したこともあって、今のところ順調です。
3月に自分にはとても似つかわしくない場所へ行くのだけれど、それはまた次回書こうと思う。

 

最近は特に自分で自分のことがよく分かってなくて、そのゲージがMAXに達したから文章にしてみたのだけれど、こうやってアウトプットするのはやっぱり良いですね。楽しい。